ちと調べもので本を色々読んでたら、気になるのを見つけました。
「プラモ(模型)は改造すべきではない」
うーむ。
たしか「学問のすすめ」で自分の意見を述べることを尊んでいた気がするのですけど
(『演説の法を勧むるの説』章以外にも、説得力ある意見があった気がするんですが・・・)
その福沢先生に倣って、自分の意見を言わせてもらえれば
自分は断然『改造はすべき』派です。
・・・無理にでもするべきって強い意見でもないんですが、出来るならばするべきだって人です。
偉い人に怒られても、多くの人に否定されてもするべきだ!・・・です。
去年のNHK第2でのカルチャーラジオで、3か月くらいかけて東洋哲学の基礎の基礎を丁寧にやっていましたが、
改造(改革、革命的な意味でしたが)無くては死んだものになると、それは東洋では物凄く尊ぶ行為だと説明されていました。
(・・・と、薄い記憶)
※話は東洋から逸れますが、たしかマルクスも同じこと言ってますよね。
ブルジョア的にも、自ら造った体制によって改革・革命を宿命づけられてるんじゃなかったかな??
(一般的な会社を観察すれば分かると思いますが。同じことし続けると滅ぶっていう)
また、仏教の先生も
「明治維新で日本は上手く西洋の文化を取り入れましたが、ただそのまま受け入れたわけじゃないんです。
日本人は、自分達に合うように何でも改造(咀嚼)する民族なんです。古来、仏教も日本人に合うように改造したんですよ」
と述べられていました。(これは良く聞く話だと思いますが)
元来、日本人は(人間は?)遺伝的にそういった本能をもっているのだから、その能力は活かすべきです(・・・と思います←弱気)。
歴史、文化っていうのは改造の積み重ねですよね。
『物』を大事にするんじゃなくて『事』、つまり『行為を大事にしたほうが良い』に決まってます(・・・と思います←弱気)。
本質とは、結果として生まれてくるモノ・・・じゃなくて、結果に至るまでの行為ですよね。
・・・仏教のお経でそんなのがあった気が・・・???思い出せん・・・・
とにかく
東洋思想的に、現在の閉塞感って実は改革、改造する能力が求められてる時期なんだと思います。
八方塞がりで死にそうなんですよ。たぶん。
「むしろ創造力が大事」って意見もあると思いますが、創造力系の本を読んだことがある人は分かるかと思いますが、
創造力って改造、改革です。
何も無いところから生まれるものじゃないんですよね・・・。
その流れで、岡倉天心が「模倣はするもんじゃない」って言ってますけど、
「芸術とは自然の模倣である」とも言ってますよね。(霞のような記憶・・・)
この相対する意見がセットになってるっていうのが、いかにも東洋っぽくて興奮しますが(←変態か)
何にも似せず、オリジナルをゼロから作れって、究極的にそうするならバケツで絵具をぶちまけるとかしかないですよね・・・。
作る行為で何かに似るのは至極当然。
だったら、なにかを基として新たに作る行為は別に悪いこととは思えませんが・・・
ベースを利用して新たに作るっていう。
手作り感の強いガレージキットについても、それこそ手を入れるべきではないって意見もあって、
だったら自分で最初から作るべきだとか、なんとなく気持ちも分かるのですけど、
昭和色の強い町工場で色々作りましたが、金型とかも結局手作りなんです。
造形に命賭けてるって、俺達工員だって挟まれて指が無くなったり、顔に縫い傷があったり殴り合いの喧嘩したり塵肺になったり
主張はしないけどめちゃくちゃ命賭けてるんだよっ!!っていう・・・。
誰も気にかけないようなフツーの生活用品でも、苦しみの中から生まれてるんだぞ!って強く言いたい(泣きながら)。
車の部品も些細なものでしたけど作りましたが、だからと言って改造してほしくないなんて思わないし、
そんなことより、むしろ何でも良いから喜んでもらいたいっていうのが本当に強かったです。
トヨタや日産もそうなんじゃないですかね。それこそみんな命賭けてると思いますけど。
やっぱり
ガレージキットだけが特別だっていうのが・・・なんか納得いかないっていうか・・・
どんな形でもいいから喜んでもらいたいっていうのが一番に来ないっていうのが何か・・・うーん・・・・・・
作家の森博嗣さんも作る行為に対して自分の意見っぽいことを言ってた気がしますが、
そういったことで、改造はしたほうが良いと思います。
読書感想文として東洋芸術のことも今度書こう・・・
結論
こういうブログの記事って、後で冷めた目で見ると「なんじゃこれ」ってなるので、消すかも。
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- 2020/02/25(火) 23:04:49|
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