
サフ。
ボークスさんバッシュよりもプラモ化経験が豊富だからか、WAVEさんはプラ材の質も優秀で凄く作りやすいので
「結構速く完成出来るかも」
と思ったのですが・・・・
思ったのですが・・・
思ってたより大変でした・・・。
以下↓比較

まったくの素組みですが、思ってたよりかなりカッコいい!!です。
写真よりも実物を見たほうが満足感が凄いかな??

でもFSSの作者さんのように「みんなと一緒とか嫌だ」な人なので(それをへそ曲がりと言う)、手術してみました。
足は外側に2mmずらして(股関節で計4mm広がってます)、
気持ち程度に1mmだけ太ももを延長。(←股関節の加工が上手くいったらいじらなかった)

いじらなくても十分カッコいいです。
・・・やっといてなんですけど・・・・・・。
もっと違和感あるかな?って思ってたんですけどね。
『プラモ』としてもかなり優秀な部類かと。

サイドスカート(?)の接続はレジンブロックと社外ボールジョイントパーツで腰側に移動。


作りやすいとは言え、WAVEさんの製品を何回か作りましたが、
ネックなのは『バリ』。
このバリのおかげで評価が二分するんだと思います。
そのまま未処理だと非常に作りにくい・・・・かな?
面倒ですが、いちいちパーツのバリを綺麗に処理してあげると、グンと作りやすくなります。
(経験上どのキットもそんな感じがしましたが・・・どうでしょね)
あと『押しピン』の跡とかも場所によってはネックになるかな??
ちなみにバンダイエッヂって安全性の理由とか言われてたりしますけど(←との妄想)、
個人的にはバリ対策の隠し味かなーとか。
WAVEさんはエッジの処理も妥協しない(設定に合わせるという意味)ので、
そのぶんバリとして出るんかな??と思ったりもして。
「綺麗に合わん!!」っていうのは、バリの可能性が高いと思われます。
ちなみに、WAVEさんのプラの材質はポリパテガンガン使ってますけど問題無し。
(さすがに若干溶けるみたいなのはありますけど、普通のプラモ並み)
さすが・・・。
とはいえ
ヒケがね・・・ガンプラもこんなものなので、普通は気にならないレベルでしょうけど、
気にするタイプなので、イチイチ消してます・・・。
これがめんどくさい・・・なかなか終わらんです・・・。
そういえば、先日の「NHK毎朝ラジオ」を聴いたのですが、凄く勉強になりました。
たしかに『自分が何をしたいのか』って文字として書かないと共感って得にくいですよね・・・
あんまり気にしてなかった・・・orz
ってことで早速なんですが
(贋作)レッドミラージュを作ってて、最近峠を越えて面白くなってきて色々資料を見ていたら
永野さんって山水画の影響を受けてるんですね・・・。
なるほど・・・・と思ってしまった。
なんか色々と納得できるっていうか、そういう目線だったらFSSって相当面白いんじゃないか???って思って
レッドミラージュがもう全然止まりません。
自分は、どちらかといえば漫画とかアニメが得意な人じゃなくて(←嫌いという意味ではない)、
山水とか東洋芸術、東洋思想の世界のほうに惹かれているタイプなのですが、
こうなるのって・・・
水瓶座のA型だからかな・・・
見てたら永野さんも水瓶座のA型なんですね。
へそ曲がりっていうところが共感できるなって思ってたら・・・奇遇だ(笑)
現代人って海洋堂のセンムさんが言うみたいに「もっと色んな本読まなあかんでー」だと思うので、
色々と書くのは避けますけど(←それぞれ個々人が出会う「先人の知識」がある、という意味で)
モデラーでも横山大観を尊敬してる人って少なくないと思うのですが、
ちょっと前のNHKラジオにて残された(萌え声の)音声テープに
「わたくしは写生はいたしません。写生は嫌いです。模写はいたしますが」
とありました。
これ・・・・・・・非常に重要な東洋美術観なんですよね。
世界に影響を与えた東洋美術哲学っていうか。
別のラジオで、葛飾北斎が実際の景色を見ないで想像で絵を描いたことについて
「さすが北斎先生!天才ですよね!」
って言ってましたが、
いやいや・・・東洋の美術って、だいぶ昔からかなり哲学的ですからっ!
とラジオに向かって突っ込んだりして。
『絵ってそもそも何だ??』
っていうのを含んで物を見ないと何も伝わらないんでしょうね。
河鍋暁斎が帰ってきてから風景の絵を描いたなんてエピソードとか有名ですけど、
この前もテレビ番組か読んだ本なんかに松尾芭蕉について「実際に無い景色を詠んでる」・・・とか言って
それで曽良との関係は崩れたんだなんていってましたけど
もうね・・・
東洋の芸術世界を分かってないと優れた作品も何も意味無さなくなります・・・・。
坂口安吾だって芭蕉の句について『かなり分かりやすく』説明していますが
(それこそ、前にブログに書いた余白の哲学に近い)
それが分からないと迷妄に陥ることになるぞ・・・と釈迦牟尼っぽく言ってみる。
とにかく
たぶん以前書いたFSS私観も、そこまで的外れじゃないと思うんだよなー・・・と今回の件で思えました。
核心に近くなった???
とはいえ永野さんが求めてるモデラー的なものって、先達で例えればで柴田是真とか『超』の付く天才しかいないと思うんだけど・・・
高村光雲ですら絵は得意でなかったんですけども・・・・
スポンサーサイト
- 2020/03/28(土) 16:59:20|
- 【WAVE】1/144 エンゲージSR1(プラ)
-
-
| コメント:0
画家に去俗論あり。曰。
『画の俗を去るに他の法無し。
多く書を読めば則ち書巻の気上昇し市俗の気下降す。
学者其れ旃を慎まんかな』
それ画の俗を去だも、筆を投じて書を読しむ。
況詩と俳諧と、何の遠しとする事あらんや。
- 与謝蕪村 -
現在製作中のモノの仮組み写真を撮ったのですが、改造前の写真が別のカードに入ってて用意できないので
後日貼りますけど、
変わりに『余ったパテの行き着く先』として作っている習作

144サイズです。
バランスチェックをしている途中なので、怪しい部分が多いですけどご了承ください。
それと隣のキットとはサイズが違いますが・・・フル可動なのでポリキャップの都合上のサイズかな?とか(←自分のには目を瞑る)。
とにかく、いくら作ったところで「贋作」とか「偽物」って言われるのは分かっているので、
贋作だと割り切って好き勝手に彫りますけど(当然設定も無視)
こういうのが一騎いると、キットを作っているとき「パテが余っちゃったけど勿体ない!」っていうのが
ササッとカバーできます(貧乏性故)。
なんか前のもぐらに「モーターヘッドはデザインが出来上がっているから、(彫刻)技術を抜きにしたら簡単だ」みたいな記事があった記憶があるんですが、
いや・・・プロポーション探るだけでも凄く難しいんですけど・・・・・・
うーん・・・・
・・・。
んで、製作記ですが
模型誌のライターさん並みの文章みたいなのは無理なので(先生方々は『プロ』ですし)、
一生懸命書いても労力だけ費やして特別良いこともないので、
『・・・という夢を見たんだ』的な、変な方向の製作記を書いてみたいと思います。
チコちゃんみたいに「諸説ございます」的な・・・
さて、日本の美術で凄く重要視されている概念の1つは『余白』だと思うのですが(岡倉天心「茶の本」参照)、
模型にも余白(のような概念)があって、
モーターヘッドは余白が無いのでアレンジしにくいんだろうなーって作ってて思いました。
ファーストガンダムは余白が多いので、モデラー的にも改造しやすいデザインだと思うのですが
(例えば公式ガンプラでも無類のバリエーション数を誇ると思います。1.5とかVer.KaとかFG、RG、PG・・・)
スジ彫りも余白が多いので「ここに線を入れよう」ってアレンジし易いんですよね。
そんな『デザイン上の線』がだんだん多くなると、それに比例してアレンジもし難くなるわけで
ハリウッド版のトランスフォーマーなんか線の嵐みたいな画なので、アレンジしようにもそう簡単にアレンジできない・・・
ちょっと極端な例でしたが、ユニコーンガンダムとか、Sガンダムクラスでも『俺アレンジ』って余白が無いので難易度高くなるんですよね(・・・たぶん)。
そもそも余白っていうのは、古来中国(中国って言って良いもんかどうなのか。違う国の積み重ねで出来た歴史ですもんね)で
絵の描かれてない部分に漢詩や、歴代の皇帝達が「俺のだよ」って『ぺた』っとハンコを押すスペースだった記憶があるのですが
その文化が日本に渡来して、禅宗の十牛図「人牛俱忘」の思想と混ざりあったのか、
それとも牧谿の影響が大だったのか、物凄く余白に意味を持つことになったと思うのですけど
(ちなみに、こういう知識があるとジブリの「かぐや姫」の映画が「すげー!」って思えます。筆法とか)
当然ですが自分よりも永野さんは遥かに頭が良いでしょうから、この手の知識っていうのは最初からあって
決まった角度の(←設定画の)余白の無い理想的なデザインがある変わりに、
後ろ絵とか正式に書かなかったり、盾で良い所が見えなくなってたりして
余白を作って故意に『完全を嫌っている』ような気がします(んけど・・・どでしょね?そこが余白になってませんかね?)。
線的な余白じゃなくてイメージの余白・・・みたいな。
たとえば『背面を原型師諸氏のために描いたもの』とデザインズにもあったりして、
そのようにどれもいちいち描こうと思えば描けるんでしょうけれど、
「自分が漫画を描くんだから、他に設定画とか必要ない」とか言いつつ
決定稿みたいのをわざと避けてるような気がするんですよねー・・・・
やり過ぎると余白(受け手側のイメージの余地)が無くなるっていう・・・。
しっかりした設定画(もちろん製図的じゃなく絵画的な画の)あって、そこに余白の余地はあまり残っていませんが、
それでも故意的な余白がある・・・みたいな。
そこがモータヘッドの大きな魅力だと、自分は思っとりますけんど・・・。
(永野信者とか言われそうですが、厳密に宗派で言えばワークショップキャスト宗に属すと思われる)
日光東照宮もそうですけど、古くから日本人(東洋人)がもの凄く大事にしてきた考え方ですよね。
あえて完成させないっていう・・・。余白を残すんですよね。
レッドミラージュのデザインが完成して、もう出てこなくなってしまいましたが(泣)、
それでも「ここ結局どうなってんだろ?」って微々たる余白はまだあって、
そんな余白を古兵な自分は楽しんでいるんだと思います。
・・・
・・・・・・・・という夢を見たんだ。
こんな感じで
東洋思想的に模型を見ると結構違って見えてくると思うんですけど、
この「贋作レッド」はこういう感じで製作記を書いていきたいと思います。
・・・たぶん
- 2020/03/20(金) 16:13:21|
- 【フルスクラッチ】1/144レッドミラージュ(贋作)
-
-
| コメント:0
思うに収穫の時期はすでにきたれり。
アダム・スミスによりて産まれたる個人主義の経済学はすでにその使命を終えて、
今はまさに新たなる経済学の産まれいずべき時である。
見よ、世界の機運の滔々として移りゆくことを。
語にいう、千渓万壑滄海に帰し、四海八蛮帝都に朝すと。
古今を考え東西を観る、また読書人の一楽というべし。
噫。

・・・さふ。
先日、久しぶりに自分へのご褒美ということで、趣味の岩波文庫を買ったのですが
その一冊がコレ↓

ずっと前から勉強したいなって思っててやっとで読めたのですけど(バッシュが大変だった)、
もう序盤からバリバリの名著です。
買って良かった!
こんな感じで読書好きと言っても吾輩そもそも頭は良くないのですが、
バカだって自覚してるからコツコツ読むのであって(←儒教の基礎)、
その中でも岩波文庫を好むのは、ラジオ深夜便で金田一先生が「時間を潰すなら岩波文庫」って言ってて
単純に「ほほう。なるほど」・・・と。
・・・。
ちなみに、読書は本当に馬鹿に出来ないって常々思うのですが、
モデラー諸氏も初心者から「上手になりたいんですけど、どうすれば良いですか?」って言われたら
「模型の本を読んでください」って返す人かなり多いと思うんですけど・・・どうでしょ。
(モデラーって結構な割合で本の効果を実感している人たちだと思う)
とにかく。
岩波文庫の良いところは
『日本語がカッコいい』です(笑)
スターウォーズなんかでも、決めのシーンって
「フォースと共にあらんことを」
とか、「いきなり古風な言い回しなんかいっ!」なーんて思ったり
FSSでもカッコいいシーンって古風な言い回ししてますよね。
やっぱり岩波文庫の明治らへんの日本語ってかなりカッコいいです。(もちろん内容もカッコいいですが)
ただ、今回の『手仕事の日本』は著者も「慣れない優しい言い回し」って言ってるくらいなので、
ちょっとカッコ良さは薄れていますが、それでも良書です(悪書であるべからず)。
そもそも自分が『田舎者で模型用品用材が入手しにくい生活環境』というのもあいまって
手仕事には並々ならぬ拘りを持っておるのですが、
ジュノーンでもスジ彫りにテープでガイドを・・・とか使わず、本当にオールフリーハンドなんですけど(もちろんバッシュの顔も)、
石川光明先生とか安藤禄山とかでも、あの技巧で僕らと同じ人間なので(しかも日本人)、
やれば出来なくはないんじゃないかなって思って、現在に至ります。
うーん・・・と、ある本にガンダムの富野監督が
「気付いたんだけど、自分ってCGが苦手みたい」って言ってて
自分の嗜好もそっちな人なんですけど、
かなり分かりやすく言うと、
FSSの画集「デザインズ」とか、本編の漫画でも良いんですけど
モータヘッドとかがCGだったら、こんなに夢中になれましたかね?っていう・・・。
デザインズだけ「ポリゴンのCGに書き換え」とかだったら、買ったかな・・・。
考えてみるに
自分はモーターヘッドのデザインが大好きなんですけど、それって実は
『永野絵、永野線のモーターヘッド』が好き
なんですよね。
手書きだから虜なんです・・・。
気付けば、実は絵の技巧にもうっとりしてるんですよね。
あの「クセがあるんだけど、それがクセになる」っていう・・・。
ご本人はどう思ってるか分かりませんが、自分みたいな人が多いとすれば、永野さんってめちゃくちゃ絵が上手いんだと思います。
それこそ古来からの東洋の美術観で言えば、確実にかなり上手(蘇東坡の哲学??)。
定規とか使って、コンパスとか使って、製図みたいに角度とかキッチリ出してたら
モーターヘッドの絵の魅力って消えませんかね・・・
そう思うのは自分だけかな・・・。
造形もきっと近い部分があって、だから「ガレージキットのほうが自分には合ってるかも」って前に書いたのですが
ガレージキットの魅力って、一つはそこにあるんじゃないかなーとか。
実は、無意識にも『人間の手から生まれる』技巧を見てない?っていう・・・。
むちゃくちゃなことを言っているというのは重々自覚してますけど、
とにかく自分が『なるべく手作業に拘りたい』(意地でも)っていうのは、ここにあったりします。
めちゃくちゃな話ですけど;^^
さて
遅いから寝るか・・・
- 2020/03/13(金) 00:27:47|
- 未分類
-
-
| コメント:0
前回の記事が終盤眠くなって訳わからんくなっているので、今回は自制して・・・。
熱くなると模型作る時間が無くなってしまうので、勿体ないんですよね・・・。
FSSについて言いたいことは山ほどあるんですけど、
核心をズバリ
自分はいまだにGTMには慣れませんorz
映画も見に行ったんですけど・・・
音とか凄かったな~とか、素直に映画作ったってだけで凄いなと思いますけど、
どうも触手が伸びない・・・
とはいえ、
ヤクトミラージュがもう全然ダメで、
細いし、顔は凶悪だし、猫背だしって時期があったのですが、
『えばんげりおん』が世の中に溢れて見慣れてきたときから「ヤクトミラージュかっこいいかも」って変わったので
(今では好きです。搭乗騎士のキャラも含み)
時間が経つとカッコいい!ってなるかもしれません。
永野的人物絵も、当初は体は細くて目は小さいし、で
当時見慣れなかったのですけど、
今では逆に、他の漫画アニメの目のデカさが気になってしゃーないです・・・。
そのくらい自分の中の評価が揺れ動くので、GTM苦手だー!ってズバリ言い切れなかったりするんですけど
それでも現時点では、どうなのかなーって思います。
だいぶ前に日曜美術館で、芸術家の千住博さんが
「芸術家というのは、時代を読んで皆の気持ちを代弁する人」って言ってた記憶があるのですが
(細部は違っても、こういう話だったはず・・・メモ紙がどこか行ってしまった!)
また数年前のラジオ深夜便で村上隆さんがアンカーから
「好きなもの形に出来るって良いですね」って言われて、あきらかにムッとした感じで
「まさか好きなものを形にして売れたりしませんよ。ちゃんとお客さんが欲しいものを考えて作ってるんです」
みたいなことを言ってたのが記憶にあるんですが、
やっぱり千住さんのアーティスト論って、かなり自分の中に刺さってて
はたしてGTMって皆の期待通りだったのだろうか・・・と・・・。
嘘じゃなく、本当の気持ちを書かせていただきますけど
センスの良い人、オシャレな人、現代的な人はGTMカッコいいって素直に受け入れられるんだろうなって思います。
自分の中ではそんな感じです。
すっごい嫌だってわけでもないですし。
ただ自分はメッサーシュミットとかの動画見て
「フォーッ!!」って叫んでるアメリカ人みたいなセンスなので
(たとえば
https://www.youtube.com/watch?v=ERo0lTyUvOk&t=24sとか。音めちゃくちゃカッコよくないですか?)
もうちょっと時間が必要なのかも。
それと言いたいのが、
スターウォーズでもデザインのルールがあって、真実味を重視してる割には出てくるドロイドって人間っぽいんですよね。
エピ1の兵隊ドロイドだって、わざわざ眼を書き込んでたりして。
・・・もっと人間離れしても良いはずなのに。
もしかしたら、ロボット好きっていうのは
厳密に言ったら『どこかに人間を思わせるロボット』が好きなのかも。
オーディオコメンタリーでもジョージ・ルーカスだかが「ドロイドのほうが気を使う」って言ってた気が。
人間のキャラよりも感情移入しやすいって。
無意識にロボットに対して憧れみたいのあるんじゃないですかね。
やっぱりあんまり人間離れさせすぎちゃうとなー・・・(←オールドタイプな人間)
また機会があったら続く
- 2020/03/07(土) 00:55:12|
- 未分類
-
-
| コメント:0
金型の都合で抜きが甘くなってしまっているようなので
キットに準じたディテールアップ(・・・かなコレ?)パーツを作ってみました。



自分の記憶では、スーパー原型師の佐藤さんが古くから
「製品状態が必ずしも原型製作者の望む形ではない」とおっしゃられていた一人だと思うのですけど
(ちなみに、模型に無関係のものづくりの本でも「必ず妥協が入り込む(時間の制限、抜きの制限等々)。皆、辛いけれど~・・・」とあったりして)
そういったことも頭に入れつつ普段作ったりしてます。
それこそ年代ものだと、現代よりも更に型の技術的な制限もあったりして・・・
ものづくりって、どの世界でも血と汗と(我慢の)涙が入ってるんですよね・・・。
とにかく、
少しづつファイブスター物語の模型が多くなってきてるブログなので、
ファイブスター物語について『自分は』・・・・あくまで『自分は』どう思っているのか、書いてみたいと思います。
(時間が経つと、この思いも変わるかもしれませんが。作品がそもそもそうだし)
端的にFSSって、どういう作品かっていうと、あくまで自分は
「(妥協無しの)永野さんデザインの発表の場。デモンストレーションの場」だと思っていて、
リブートの1巻だかに
「Bテンプル(レッドミラージュの元デザインのほう)が、製作の都合でボツになった」とかあった記憶があるのですが、
こんなにカッコいいデザインなのに勿体ない!って自覚してたと思うんですけど
(結果それは正しかったわけですが・・・)
また別の話で、エルガイム時のデザイン料が30体くらいで合計2万円とかで、
きっと「その程度の価値のデザインじゃない!」って思ってたんじゃないですかね???
金額がどうこうじゃなくて、世の需要的な意味での。
永野さんの言葉か忘れましたが、何かの本でも
「すごくカッコいいデザインでも、やられメカにさせられちゃうと、結局やられメカはやられメカの扱いになっちゃう」とか、
「せっかくデザインした子(メカ)が壊されるのは嫌だ」みたいな
(違う人の確率かなり高いですが)薄い記憶もあって・・・。
FSSってストーリーが年表で「もうだいたいわかるでしょ」って仕組みになってて、
それとまた一番重要な、出てくるロボットのデザインがあって、
そのロボットはこういうふうに運用されてるとか、このくらい強いんだよ、みたいな演出が一番大事で
一度それが説明されて読者が「そうなのね」って理解されると、あんまりもう出てこない仕組みになってると思うんですけど、
逆に言うとデザイン画だけで漫画の演出が無い場合、まったく説得力が無くなるっていうか、
(アシュラのドラゴントゥースとか、Aトールの副腕とか)
そうなると受け手のイメージが独り歩きしてカリスマ性がかなり薄れるっていうか、
やっぱり馬鹿みたいに強くないとメカ好きは燃えないっていう心理を分かってらっしゃるうえでのFSSという漫画なんじゃないかな??・・・とか思ったり。
その昔、F1のフェラーリも勝てない時期が長かったですけど、
その頃のカリスマ性ってイマイチだった記憶があるんですよね(せっかくの良い所でエンジンストップみたいな印象・・・)。
とはいえ友人に「アレジのフェラーリが一番フェラーリだ!」って説教されたこともあるんですが、
それと同じでFSSもロボットを扱う人(F1で言うアレジ)を大事にしてて、それがまた更にデザインのカリスマ性を上げてるっていうか
そういう価値を高める仕組みも理解しつつ、相当なカラクリが仕組まれた頭が良い感じに出来上がっているように思います。
(褒め過ぎだって意見もあるでしょうが、なかなか出来ない←自分は絶対に)
読売新聞のFSSを扱った記事に「モーターヘッドは飽きた」みたいなことが書いてあった記憶があるんですが、
自分のデザインを演出する『だけ(は言い過ぎか?)』の目的ならば、その言葉も(ある程度)納得できるというか、
だってもう十分じゃないですかね・・・
「これだけカッコいいデザインのメカが、これだけ強いんだよ」っていうのが理解出来れば。
自分的に、GTMになってもモーターヘッドは演出の効果もありカリスマ性は消えてませんけど・・・どうなんでしょうね。
んで、モーターヘッドの場合
割合い的に破壊されるメカが以外と少なくて、ボコボコにされるのとされないのでキャラ分けがしっかりしてるっていうか、
相当なイメージが出来上がってないと、一回ボコボコにした場合デザインのカリスマ性が下がるって頭に入ってるというか
良いデザインのメカって壊されてないし(大事にしてる)
主役級ですらあんまり出てこない、回数的に見れないっていうのも、
模型も含めて(自分の地域では確実に)希少価値を高めてるっていうのもあると思います。
田舎でFSSの完成品とか見つけると感動するんですよね(笑)
このたまらんデザインを色んな角度でじっくり堪能できるのって、模型(←高い山)で頑張るしかないという・・・。
・・・唐突ですけど
長くなったから、次回に
- 2020/03/05(木) 00:47:10|
- 未分類
-
-
| コメント:0