
ちと色々と調べものしてたんですが、長巻について別の資料も発見。
『真如堂縁起(重要文化財)』の下巻にて
長巻?薙刀?装備の兵士も腰に刀は差してません;^^
1524年の作なので、こちらも信憑性は高い・・・と思うんですけど、
しっかり書き込みされてるので書き忘れではない・・・と思うんですけど・・・。
実際、現代の専門本のように「必ずこういう装備ではならない」ってわけではない気がします。
・・・まあ、他の藩だったら当時エクセルとかでちゃんと資料を作って合戦前にチェックしてたかもしれませんが、
上杉って本で言われてるほど、そこまで厳密にルール化されてた気がしないんだよなー。
ただ装備品について「使い勝手が悪い」ってのは、どれだけ高級でもあっさり手放すポリシーはブレないっていうか
そんな気がします。
実戦向き、実用的なの以外は興味ありません・・・という。
ついでに
かたくなに「打刀も刃は上向きじゃー」って方もいらっしゃいますが、
寒山先生も「下向きもいたよ」ってあるし、岩佐又兵衛の絵でも上向きと下向きが混ざってた記憶が。
見てみると下向きの人も結構いるんですよね。
(ちゃんと片手持ちの打刀もある)
関係ないけど「ちょんまげ」も岩佐又兵衛の絵だとまちまちですよね。
西国の流行にはあんまり関心がなかったと思われる上杉家ですから(ガチガチの東国風)
ちょんまげも当時剃ってたんかなーって思いながら見てました。
あの・・・兜に穴あるじゃないですか。髪の毛出すとこ。
あれ上杉の拘りですよね。
だから剃ってたか疑問・・・
あと、今日の大河ドラマ「キリンが来るんだ象 の総集編」を見てたのですが
刀でバシバシ切ってくとか、あるかなー・・・。
寒山先生の解説に
「建物内とか市街戦だったら刀とか短刀を」(拵も邪魔だから無いかもってあった記憶が・・・。←ここは自信無し)
とにかく合戦用では当然専用の壊れても大丈夫な拵を使っていただろうから、とか
槍と長巻、薙刀の破壊力って刀を凌ぐと思うんですけどね・・・。
野原で槍兵あっさり切られてた・・・。
それから、当時の世界の合戦(フランス革命以前)って
人的な被害よりも、農作物の被害のほうが深刻だったってラジオでやってましたが、そんな気がしますよね。
当時の合戦って戦闘の致死率よりも、土地への嫌がらせのほうがジワジワと効果があった気がするんだよなー・・・。
だからそういう部分を防御するために陣を張るんだと思うんですけど
合戦絵でも、実は部隊ごと谷沿いにそれぞれ配置されてたりしますよね
(遠近法が無いもんで、みんな近くに密集してるように見える)
女性や子供を人質にしてたり~、とかの話を聞くと
なんか殺し合いよりも、相手の国を荒らすイメージがありますけど・・・。
そんな常識を変えたのが信長だったのかもしれませんが。

あと忘れてたんですけど、
草摺りの裏に本物同様、ちゃんと布が貼ってあります。(後の草摺りに注目 ←白い)
佩楯あんまり付けなかった証拠ですかね。
衝撃吸収かな?とか。
・・・最後に。
前回の算数の話の続きですけど
我々がタコだったら
1・2・3・4・5・6・7ときて
次が10なんですよ。
気持ち悪いでしょ?;^^
8が無いんですよ。
8本脚なのに、10と数えるんです。
これだと
たこ八郎が成立しませんorz
これはマズい・・・ですよね??
人間の数学も、この考えが基本になってるって・・・凄く奇妙に思えませんかね
スポンサーサイト
- 2021/02/23(火) 18:49:11|
- 甲冑
-
-
| コメント:0
先に生ぜむもの後を導き、後に生ぜむものは先を弔い、
連続無窮にして願はくは休止せざらしめんと欲す上は超有名な親鸞さんの御言葉ですが、
儒教派な自分でも(←米沢!)かなり影響を受けてる・・・と言いますか、
常にこれを考えながら生きてたりします(ホントです)。
厳密に言うと、この言葉って実際仏教っぽくはないんですけどね;^^
親鸞さんご自身の悟りの境地か・・・。
とにかく、
どうでしょう。
冷静な目で今の世を見てみると、極限まで行き着いた利己的で自己中心的な人達だらけになっていませんかね?
はたしてこの先の未来の人類は、現在の利己的な我々を尊敬するだろうか?
過去の人々は現代の我々が超贅沢な生活をするために、自分の命を犠牲にしてまで戦ったのだろうか?
・・・どうです?
親鸞さんの御言葉っていうのは、物凄く重いものです。
忘れると本当にクソ人間になりそうな気がして恐いんだよなー。
(もうクソ人間じゃねーかってツッコミが無しで)
この前、ラジオを聴いていたら尊敬する仏教学者の佐々木先生が
「日本の仏教にとって、歴史上もっとも危機的な状態にあるのは現代かもしれませんね」
って仰ってました。
それは、科学技術が発達したからとか、超自然災害には無力だったからとかじゃなくて
『かなり正しい仏教の翻訳本が広まったから』だそうです。
自分も死んだら、お釈迦様の弟子になることを渇望しているのですが(儒教派だとか言いながら)
でもそれは日本の大乗仏教じゃなくて、中村元先生が翻訳されたスッタニパータやウダーナヴァルガの原始仏教のお釈迦様です。
教えに矛盾が微塵も無いし、(実は幻の)現実世界から脱却できる術ですからね・・・。
原始仏教のお釈迦様は、とにかく執着する事を否定しまくりますが、
そうなると、親鸞さんの御言葉と真逆の方向性に進むことになります。
(実際、(日本の)仏教の最大の否定者はブッダだと思う)
どちらかと言うと、あの御言葉は先祖を大事にする儒教に近いんですよね。
儒教を勉強すると、この山形県南部がガチガチの儒教で再興された地域だっていうのが分かります。
(今後、大河ドラマの影響で儒教番組が増えるでしょうが)
実感ないでしょうけど、この土地が奥深くまで儒教が染みついてるんですよ。
読むと分かるんですけど「このエピソードって儒教だったのか!」ってね。
んで
話を戻して
別の仏教学者さんが講演会にて
「日本でめちゃくちゃメジャーな仏様をインドに探しに行ったんですが・・・全然いないんですよね。
仏教じゃなくて他の宗教から来た神様の可能性が高い」
なんて仰ってましたが
(弥勒菩薩は有名ですけど、岩本先生の仏教本も参照のこと)
お釈迦さま以外、実際に存在したか定かでない仏教の教えと、
確実にこの地に実在して、実践して命を懸けて人々を守った儒教の教え県南部の人は、どちらに心を揺さぶられますかね・・・?
どちらも正しい
・・・のかもしれませんが、
せめて架空の存在よりも、実在した偉人をより信仰するほうが健康的な気がしませんか??
米沢周辺に残された甲冑も、そういった証拠の一つだと思うのです。
400年間(生きてた時間を含めると450年間)人々を守り続けた毘沙門天は
仏教の仏様よりも、もっと熱く信仰されるべきだと思うんですけどね。
景勝公はそう望んだのでしょうけど。
さて・・・つづく
- 2021/01/17(日) 11:38:57|
- 甲冑
-
-
| コメント:0
米沢甲冑として基本となる一つめが完成したので、
好き勝手し放題の二つめの製作をしたいと思います。(←こっちが本番か?)
ちなみに、前にも書きましたが
「中の人」が「中の龍(霊獣)」になっているのは、現物の再現を(あえて)避けるためで、
『本物にどれだけ似てるか』っていうのが目的になってしまうと、世界が狭まって面白くなくなるので
フィクションも少し混ぜて『なんでもござれ』状態にしたいからなんですけど
霊獣だと、よくある「あの時代の合戦の●●は、戦場では●●で相手方の~・・・」とか、
詳しい専門家的な人の話から逃れることができます。結局霊獣なので。自由な設定、世界観で作ることが可能です。
ロボット模型も原作者が作った『フィクション』なはずなのに、やたら「これは世界観と違う!」とかめんどくさいんですけど、
歴史は現実のことなので、もっとめんどくさいの確実ですもんね;^^
今も歴史学者がいっぱいいますけど、1つの出来事に対してもそれぞれ意見が違ってる事実から
絶対「超くそめんどくせー」です。きっぱり
・・・とにかく。
コツコツ進めますが

今回マンチラで造形してみました。
はたして上杉家中でマンチラ使ってたかなぁ・・・と、怪しいんですけど(←さっそくめんどくさい)
長巻なので、面具(『上杉様(←上杉仕様の意)』の)が無いと流石に危ないかなと思いマンチラ採用。
まあ・・・
霊獣ですからね・・・。
OKとします。

こんな感じでフリーダムに進めていきたいんですけど
一応解説なんですけど
甲冑に光背(金の輪っかのやつ)がある理由なんですが、
自分の勝手な想像ですが、
資料本の解説にもあるように上杉系の甲冑って仏教臭がかなり強めですよね。
基本的に甲冑は仏教臭が漂うの多めですけど、それでも比較的強めかなと。
それって謙信公が僧侶だったからっていうのもあるんでしょうけど
この異常なほどの保存状態で今まで残ってるっていうの
密教の儀式かなにかで仏様の霊力?魂?みたいなのを甲冑や武具に注入してたりしないですかね・・・。
してそうな気がするんだよなぁ・・・。
ちなみに今回の雪ノ下胴には『八幡大菩薩』と彫ってあるんですが、
ただ彫ってだけじゃなくて、それに対して相当な儀式とかしてそうな気がするんですよね;^^
(仏教好きならわかるハズ)
『我は毘沙門天なり』って言ってたっていうのも、そういうのがあったとしたら
テキトーなこと言ってたわけじゃない気がするんです。
山形県南部の人なら分かると思いますが
『ぶていしき』(←漢字忘れた)って、本当は槍とか刀を供えてお経唱えてたんでしょ??
(そのとき用の特別な甲冑が、謙信公の重要文化財の甲冑)
他所の藩は戦国期の甲冑を江戸時代に手直しとか改造とかしますけど
こういう儀式みたいのあったから米沢ではそのままで残したんじゃないかなぁ・・・
かなりの妄想ですが。
・・・と、こんな感じで仏教感を漂わせるために光背が付けられています。
寒くなってきたから、つづく
- 2021/01/14(木) 23:50:02|
- 甲冑
-
-
| コメント:0
撮り直しました(1日氷点下の中・・・)


「配色パターンのセンス無いな」って思う方もいるかもしれませんが、
実際のがこういう配色です。かなり上杉風です。
(中の服は、片山一文字が神社に奉納してあるため、神社っぽい配色の服になってる)
実物は普段やらない『かなりキツめのパール塗装』にしてみたんですが、
やり過ぎじゃね?って思うくらいのギラギラ塗装の模型の意味がわかりました。
かなりギラギラしてるのに、写真になるとフツー・・・T T
(後日もうちょっと撮影頑張ってみますけど)
もっとしないと、写真では効果がはっきりしないんだな・・・orz
なるほど。



「脇差」については、
この米沢甲冑をぼんやり作り始めた頃に、ちょうどNHK教育で『薙刀美少女特集』みたいな番組やってて、
まー、美人だしめちゃくちゃ強くてかっこ良かったんですが、
「どう考えても、あの激しい動きで太刀とか打刀を差すのって無理じゃね???」って思いました。
熱心な人なら、伴大納言絵巻の「甲冑武者が刀を差してない」っていうの分かると思いますが、
江戸時代の写真でも「弓道してる侍」とか、刀を差してないんですよね。
意外とデカいし、絶対邪魔です。
生きるか死ぬかっていうとき、邪魔なもの身に付けますかね?
って思って平治物語絵巻も調べてみたんですけど、
薙刀(長巻?)を持ってる兵士は刀を差してませんでした。
(と思う。そう見える)
とはいえ上杉家って、
戦争に対してかなり合理的そうなので臨機応変にしてただろうなって思って、今回は刀を差すのを止めました。
(ちなみに長巻、野太刀は拵無しの最初から出しっぱなしが基本)
寒山先生のご本によると、刀の使い方も
・・・って
かなり長くなるので、ここら辺は次回しっかり書こう

自分的な合戦のイメージなんですが、
大河ドラマのような「わあああああああ!」って突っ込んでくる戦いのイメージはまったくありません。
山形南部の人は、そういう遺伝子がまだ残ってそうなので
(柳宗悦もしくはラジオ深夜便「気になる日本語」山形方言回参照)
「団体で来たら、そこに四方八方から火を付けりゃいいべよ」って思う人は少なくないハズ。
大河の侍は、まず孫子を読みなさい
個人的には合戦って、米国映画プライベートライアンの
巨大アンテナ(?)みたいなとこで隊長が状況に合わせてゴソゴソ準備してから攻撃するシーンがありますけど、
戦国の合戦もあんな感じのイメージです。
寒山先生の本を読んでも、そんな感じするんだよなー・・・
と、話が止まらないので次回に続く
- 2021/01/10(日) 21:41:31|
- 甲冑
-
-
| コメント:0
すんごい寒い・・・。
AKIRA君でも寝そうな寒さです・・・。
(東京オリンピック繋がり!)
一日中氷点下だったんですけど、あまりに寒くて撮影するの億劫だったので
もうちょっと気温が上がったら気合い入れて撮影します。と思います。
今日は・・・
伏線的な、意味の無い写真で繋いで誤魔化そう・・・。
ということで
『正義』と『龍』について、です。
上杉家はよく『義』の武将とか言って、正義のために戦ったとか言われたりしますが

(足首が左右共通パーツのため同じ方向に傾いてしまっています)
自分的には、上杉は世に言われているような『典型的な』正義だとは思っていません。
そもそも正義の定義が難しいからです。
サンデル教授の白熱教室でも、テーマは「正義とは何か。正義とはどういうことか」でしたよね。
ハーバートのエリートでも定義するのが難しいんです。

(正面から。浮きまくってますよね)
結果、授業の結論として
「正義とは弁証法的な思考を持って、常に考え続けること」という、素晴らしい答えで番組は終了しました。
でも弁証法的って
マルクス主義っぽいな、とも思ったりして・・・;^^
河上肇も
「マルクス的世界観は、古来から日本にあった東洋の世界観じゃないか」
とか言ってた記憶があるんですが

(なので、切断して角度を付けます。)
やはりいつの時代も戦争で正義は成立しません。
相対的なんですよね。
現横綱の相撲部屋に、ジンギスカン(?)の肖像画が飾られて気がするんですが、
モンゴルにとって英雄ですけど、攻め込まれた国では英雄に成り難いんですよね。
それと同じことで、
戦争には相手がいるわけで、
『正義』を銘打った時点で、自国民限定の「偏った正義」でしかないんですよね。
もちろん、それを理解したうえでの
結束力を高めるための「正義」を謳っていたのでしょうけど
(当時の越後って、なかなかまとまらない国だったみたいですね)
それでも領民にとってみれば、
自分達の土地を荒らす者から守ってもらうのは正義以外の何ものでもないわけで

(ディテールのギリギリで切断し、ポリパテで消えた部分を再現します。超絶めんどくさい&超危険なので、やらないほうが良いです)
ある人相の悪い政治家さんが、
「私がこれから長い間、未来までずっと悪く言われようとも、今の国民の皆様の命を守ることに命を懸けなければいけません」
みたいなこと言ってて、「ほほう」と思ったものですが、
このように上杉家の『義』の精神も
そういう部分も前提として『相手に恨まれる覚悟を持って領民を守る』精神で相手と戦っていたんだと思います。
昭和の古い歴史の本に
「(太平洋戦争の経験から)戦争っていうのは、相手が嫌がることをしないといけませんからね」
って偉い学者さんが言ってましたが
どうやっても戦争からは
「現代人がイメージする完全なる理想的な正義」というのは生まれないのだと思います。
・・つか
むしろ正義とは、
『恨まれること』が真理なのかもしれませんね

(最初より良くなりました。もう少し調整します。 ※ブログ書き中の現在、パテの再現などを終え、改造成功してます)
そこへ来て『龍』なのですが、
仏教では八大竜王か、観音菩薩が竜身になったり
原始仏教では仏道修業者を竜と呼んだりしますけど、
自分は、仏教じゃなくて東洋思想(東アジア)的な龍が大好きで、
そっちの想いを込めて作ったりしました。
この前のテレビ(ラジオだったかな?)で
「自然の強大な力の前では、神すらもひれ伏すしかない」って言ってて、まさしくそうで
(FSSや東方プロジェクトでも龍は神でも手を付けられない存在になってます。たしか)
東洋思想的には、自然の運行・法則に反しないことこそが正義であり、
その自然法則の帝王が龍であります。
めちゃくちゃ強いとか、めちゃくちゃ守ってくれるとかじゃなくて、
自然(現象)を操るんですよね。
やはり自分は、神とか仏とかじゃなくて、
この、自然の法則性を崇拝するほうが性に合ってます。
龍、素晴らしいっす。
・・・
手が冷たすぎるので次回に続く
- 2021/01/09(土) 00:50:16|
- 甲冑
-
-
| コメント:0
次のページ